2025年03月


安藤サクラのサムネイル
安藤 サクラ(あんどう サクラ、1986年〈昭和61年〉2月18日 - )は、日本の女優。 東京都出身。鈍牛倶楽部を経て、ユマニテ所属。夫は俳優の柄本佑。 父・奥田瑛二、母・安藤和津の間に次女として誕生。姉は安藤桃子。母方の曾祖父は犬養毅。5歳の時に父の舞台を見て女優になろうと決意するが、芸能一家と…
55キロバイト (6,732 語) - 2025年3月3日 (月) 00:16

(出典 static.chunichi.co.jp)


安藤サクラさんの「塩対応」というレッテルが、この授賞式を通じて広まったことで、彼女のイメージやキャリアにも影響が出るのではないかと心配になるファンもいるでしょう。しかし、真相を知るためには様々な視点からの理解が必要です。この出来事が今後どのように展開していくのか、注目していきたいですね。

1 冬月記者 ★ :2025/03/18(火) 00:21:26.07 ID:1pFj6WoW9
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ff4748aec82259f1cc7f033d64750d2137da3cf

安藤サクラ アカデミー賞授賞式での石原さとみへの反応が“塩対応”と波紋も…テレビには映らなかった「真相」


 3月14日、都内で行われた「第48回 日本アカデミー賞」授賞式。式の様子は、当日夜9時から日本テレビ系列で放送されたが、司会を務めた俳優・安藤サクラ(39)と受賞者のやり取りがXの一部で波紋を呼んだ。

 今年の日本アカデミー賞で優秀主演女優賞にノミネートされたのは、いずれも昨年公開の映画『ミッシング』の石原さとみ(38)、『夜明けのすべて』の上白石萌音(27)、『あんのこと』の河合優実(24)、『九十九歳。何がめでたい』の草笛光子(91)、『ラストマイル』の満島ひかり(39)の5人。

 この中から、河合が最優秀主演女優賞に選ばれた。

 受賞者発表前に、5人が壇上にあがり、安藤と司会の羽鳥慎一アナ(53)を交えたトークが行われた。

 『ミッシング』では、幼い娘が失踪し、懸命に捜索を続けるなか、世間からの誹謗中傷にさらされるという難しい役どころを演じた石原。初めにマイクを持つと、羽鳥から映画での役柄について問われ、

 「産後復帰作で娘を失った母親の役は本当に辛かったんですけど、実際に自分に子どもがいる、守るべき存在がいることが、本当にポジティブに働いた。こんなに育児って大変なんだ、愛おしいんだ、一瞬いなくなっただけで不安になるんだと。経験できたからこそ、奇跡的なタイミングでミッシングで役に挑戦できて本当にありがたかった」とコメント。

 続けて、石原は、安藤が産後復帰作として映画『万引き家族』(’18年公開)で主演していたことに触れ、安藤に対し

 「産後復帰作であの役をやられたということが、本当に感銘を受けまして。サクラさんみたいに挑戦しようって思えたんです。あの時、乗り越えてくださって本当にありがとうございますとお伝えしたかった」と謝意を述べた。

 これに、安藤は「いやぁ~……ありがとうございます」と聞き入っていた。

 いっぽう、上白石や河合とのトークでは、安藤が映画に関する感想を自ら述べる場面も。

 さらに、満島のコメントに対して、「私は映画(『ラストマイル』)が始まって、スクリーンにひかりちゃんが出てきて、大興奮したんですよね。よっしゃー!みたいな。すぐ映画館出て(満島に)連絡して。すごく胸がいっぱいになって」と語り、満島と2人で涙を流す一幕があった。

 放送された、このやりとりをめぐって、Xでは、安藤の石原と満島への対応に「差」があったとし、こんな声が上がった。

《石原さとみさんの熱い感謝の言葉には薄い反応で、満島ひかりさんには涙を流してコメント、司会なんだからさ、そこは、何か冷めたわ》

《石原さとみと満島ひかりの態度違いすぎて》

《塩対応に見えてしまった》


 授賞式はテレビ放送に先がけて同日15時から行われており、放送されたのは編集を加えた収録映像だ。

 思わぬ批判を浴びてしまった安藤だが、安藤と石原の間にはテレビには映されていないやりとりがあったという。

 「実際、石原さんのコメントを受けて、安藤さんは2年以上映画の現場から遠ざかっていると自身の近況を明かしつつ、『子育てに限らず、乗り越えていかなきゃいけない現場の壁は一生ある』と応じていました。そして、“よりよい現場の環境づくり”に向き合いたいとしながら、『皆さんと交流できる場があったらいいなと思います』と提言し、石原さんも『参加したいです!』と意思を述べるなど、前向きな話し合いをする場面があったんです。

 たしかに、テレビ放送では、石原さんのときだけ、安藤さんの言葉数が極端に少ないように見えました。ただ、映像でも安藤さんは石原さんの話に笑顔で耳を傾けていましたし、自身に対する石原さんの熱い思いも心に響いていたのではないでしょうか」


 実際、当日の会場レポートなどがXでも拡散されており、多くのユーザーからこんな声が上がっている。

《放送して欲しかったなぁ 塩対応っぽくうつっちゃったのは本当によくない》

《番組ではカットされているけど 安藤サクラさんと石原さとみさんが共に話し合える場(女優会みたいな?)を作りたいと言っていたのが印象強かった 実現したら素晴らしい!》

《石原さとみさんのお話の後の安藤サクラさんのコメントは切ったらあかんやつや、、、早く完全版見たい》

【【芸能】アカデミー賞授賞式での安藤サクラと石原さとみの関係を深掘り】の続きを読む


はいからさんが通る』(はいからさんがとおる)は、大和和紀による日本の漫画。また、これを原作として製作されたアニメおよび映画、舞台の演目、テレビドラマである。 大正時代を主舞台とし、設定年代当時の様々な民間風俗や漫画連載当時のサブカルチャー(『宇宙戦艦ヤマト』、『科学忍者隊ガッチャマン』、『ロッキー…
82キロバイト (10,677 語) - 2025年3月13日 (木) 14:35
ルパン三世』(ルパンさんせい)は、モンキー・パンチによる日本の漫画作品およびそれを原作としたアニメ作品。 怪盗アルセーヌ・ルパンの孫・ルパン三世を主人公に設定している。1971年にテレビアニメ化されてからは映画、OVA、ゲーム化などの各種メディア展開がされ、現在に至るまで半世紀以上、幅広い層からの人気を得ている。…
130キロバイト (17,801 語) - 2025年3月7日 (金) 20:33

(出典 m.media-amazon.com)



(出典 www.lupin-3rd.net)


昭和のアニメには、夢中になった作品がたくさんありました。しかし、突然の打ち切りがあった作品も多く、その理由は今でも信じられないものです。このブログ記事では、その悲劇的な背景を深掘りしています。アニメが最終回を迎える裏側には、制作現場の厳しい現実があったのですね。

1 湛然 ★ :2025/03/18(火) 06:45:11.70 ID:rPvhdl649
突然の最終回に「まさかの理由」…今では考えられない昭和アニメの切なすぎる「打ち切り事情」
3/17(月) 17:31 ふたまん+(※抜粋)
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b86bd2e5179858a1d65c0b92309ae6c4f852066
『はいからさんが通る DVD BOX』(ワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメント) (C)大和和紀/講談社・日本アニメーション



 『ガンダム』と『ヤマト』は昭和のアニメ人気を牽引し、半世紀以上を経た現在も続編や派生作品が制作されている超人気コンテンツ。だが、放映当時に両作品は「打ち切り」になっていることをご存知だろうか。

 昭和時代は1年単位での放送が主流で、一見不可解に思える打ち切り作品も多かった。超有名作にもかかわらず「そんな理由で?」と驚いてしまった昭和アニメを振り返ってみたい。

※本記事は各作品の核心部分の内容を含みます。

■真の強敵は裏番組や視聴率ではなかった?

 最初に紹介するのは、アニメ『はいからさんが通る(以降、『はいからさん』)』が打ち切りになった珍しい理由から。

 大正時代を舞台に、17歳のおてんば少女・花村紅緒と青年少尉・伊集院忍の恋愛を描いたラブコメ作品。大和和紀さんが手がけた漫画が原作で、こちらは『週刊少女フレンド』(講談社)にて1975年より連載。累計発行部数は1200万部を超える大人気少女漫画だ。

 アニメ化された『はいからさん』は、1978年6月3日からテレビ朝日系で放送開始となったが、1979年3月31日に全42話という微妙な話数で終了している。

 ここからは作品の重大なネタバレとなる。最終話となった「嗚呼! 大正ろおまんす」の回では、戦死したはずの少尉がミハイロフ侯爵として登場するのだが、原作と比べると、かなり中途半端な終わり方になっている。

 当時は日本テレビ系で『宇宙戦艦ヤマト2』、TBS系では『まんが日本昔ばなし』といった人気アニメが放送され、「裏番組が強すぎたせいで打ち切られたのでは?」と一部ファンの間でささやかれていた。

 しかし、原作者の大和和紀さんの話によると、1980年開催の「モスクワ五輪」のテレビ中継がアニメの時間枠に決まってしまい、その影響で打ち切りになったという。当時、大和和紀さんはアニメ製作には関わっておらず、「あと3回分しか続けられない」と相談されたが、(アニメの)物語はすでに原作の半ばまで描かれていて、「いくら原作者でもまとめようがなかった」と語っている。

 どんな困難にも立ち向かう紅緒だったが、世界規模の一大イベントには勝てなかった。最終的に、日本がモスクワ五輪不参加となったのも切ない。

 その後、『はいからさん』は1987年に南野陽子さん主演で実写映画化され、2017年と18年には「前・後編」で劇場アニメも公開。アニメの打ち切りから40年近く経過したが、きちんと完結を果たしている。

■時代が早過ぎた? 大人のハードボイルドが最大の魅力だったのに……

 モンキー・パンチさん原作の『ルパン三世』は、雑誌『WEEKLY漫画アクション』(双葉社)にて1967年から連載されたハードボイルド漫画。

 “赤いジャケット”を着用したテレビアニメ第2弾『ルパン三世』(1977年より放送)は、高視聴率を誇った人気アニメ作品だ。今や国民的な人気キャラとなった『ルパン三世』は、近年もコラボやスピンオフ作品、新作アニメシリーズなどでたびたび話題をさらっている。

 そんな人気アニメ『ルパン三世』だが、1971年に放送された、いわゆる“緑ジャケット”のテレビアニメ第1弾『ルパン三世』は、2クールももたずに打ち切られた。

 作画監督を務めた大塚康生さんは『完全保存版 ルパン三世PERFECT BOOK』(宝島社)のインタビューで「視聴率が6?9%と低く、青年層を対象とした斬新なアニメだった」と語っている。

 しかし、その後も“緑ジャケット”の『ルパン』が再放送されるたびに評価が高まり、独特のハードボイルドな世界観に多くのファンが魅了された。

 余談ではあるが、宮崎駿監督による劇場映画『ルパン三世 カリオストロの城』でヒロインのクラリスを救う「おじさま」なルパンも“緑ジャケット”である。

 なお、2025年には『ルパン三世』の完全新作劇場版『LUPIN THE IIIRD THE MOVIE』の公開が決定。モンキー・パンチさんが描いたハードボイルドの匂いがする“原点回帰”を目指すという。

(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)

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大谷翔平のサムネイル
大谷徹とバドミントン選手の母・大谷加代子との間に次男として出生。7歳上の兄・龍太、2歳上の姉、結香、犬の「エース」と共にスポーツ一家で育つ。 地元・奥州平泉にゆかりある源義経(幼名・牛若丸)の八艘飛び(はっそうとび)のイメージから「」と平泉の「」を合わせて父が「翔平」と命名した。…
409キロバイト (57,842 語) - 2025年3月17日 (月) 19:14

(出典 full-count.jp)


今回の出来事は、観客の反応が注目される中で起こりました。大谷翔平選手に代打が送られた瞬間、会場からは思わず漏れた「えー」という声が。ファンの期待感は大きく、選手への愛情が感じられる一方で、視聴者からは「失礼すぎる」との厳しい声も。スポーツファンとして、選手へのリスペクトを忘れてはいけませんね。

1 冬月記者 ★ :2025/03/17(月) 23:41:16.66 ID:tWdHMuUs9
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4780e1e1bd986cd8bae4003b1464adaec803cc3

大谷翔平に代打送られ、会場から漏れた「えー...」。視聴者からは「失礼すぎる」との声止まず「気持ちは分かりますが...」「リスペクトに欠ける」


 ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平投手は3月16日、阪神タイガースとのプレシーズンゲームに「1番・指名打者」で先発出場。

 ファンの前で二度打席に立ち、会場を盛り上げた。一方で交代時の会場の反応にネットでは疑問の声が上がっている。

 前日の読売ジャイアンツ戦では3度バッターボックスに立ち、第2打席ではライトスタンド中段に刺さる2ランホームランを放ち、ファンの期待に応えた大谷。

 今回の試合では阪神の先発を務めた才木浩人の好投の前に第1打席は空振り三振、第2打席はセンターフライに倒れていた。


 6回表1死一塁の場面で大谷に3度目の打席が回ったものの、ハンター・フェドゥシア捕手が代打に送られたため、大谷の出番は終了。

 代打のアナウンスが告げられると、スーパースターの一発を心待ちにしていた観客から「えー...」というため息交じりの声が上がった。

 観客らの声は中継にも乗っており、これを聞いた視聴者からはさまざまな声が上がった。

「気持ちはとても分かりますが、『えー...』は止めよう」

「失礼すぎるやろ」

「大谷さんだけ見たいなら席譲ってほしい」

「多くのファンにとっては大谷と『それ以外』だからなあ」

「フェドゥシア選手へのリスペクトに欠ける」

「大谷くん交代でアメリカでも途中で帰る人は少なくないけど...」

「プロスポーツ興行ってそういうものじゃないの?とも思う」

 なお試合は3-0で阪神タイガースが勝利した。

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菊川 (きくかわ れい、1978年2月28日 - )は、日本の女優、タレント。埼玉県さいたま市緑区出身。オスカープロモーション所属。元夫は実業家の穐田誉輝。妹は元タレントで公認会計士の菊川舞。 1997年、大学2年生の時に東京・新宿でスカウトされる。1998年(平成10年)にモデルデビュー。グラビアモデル、女性ファッション誌…
46キロバイト (5,716 語) - 2025年3月9日 (日) 14:00

(出典 c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp)


菊川怜さんが小倉智昭さんのお別れ会で見せた感情に、私たちも胸が締め付けられる思いでした。特別な存在だった小倉さんの遺影に映るあの優しい笑顔が、彼の人柄を物語っていましたね。この日が本当に来てしまったことが信じられなく、彼の存在の大きさを改めて感じました。

1 冬月記者 ★ :2025/03/17(月) 18:24:52.13 ID:tWdHMuUs9
https://news.yahoo.co.jp/articles/02abe77e16bce1fbf5dde4913cc1570cc055a111


(出典 i.imgur.com)


菊川怜 小倉智昭さんお別れ会で号泣「すごい遺影がいい笑顔で、この日がきちゃったんだなとショックで」

 タレントの菊川怜(47)が17日、都内で昨年12月9日に死去した小倉智昭さんのお別れ会に参列し、号泣しながら、惜別の言葉を送った。

 フジテレビ系情報番組「とくダネ!」に12年7月から17年9月まで小倉さんとともにMCとして司会。

 報道陣の前に現れると、人目をはばからずに号泣した。「すごい遺影がいい笑顔だったじゃないですか。穏やかで楽しそうな一番いい笑顔だなと思って見てました」と大粒の涙を流した。

 亡くなる直前の昨年の11月に、小倉さんに電話したという。「その時、お元気そうな声だったので、12月に亡くなって。『とくダネ!』のライングループがあって、午前3時ぐらいにあったんですけど、この日がきちゃったんだなとショックで、この間まで元気に話していたのに亡くなってしまったんだなと思うと悲しかったです」と振り返った。

 5年以上もともにMCを務め存在の大きさは今も感じるといい「もっと、その時にすごさに気づいていたかったというか、終わった後とかこうして、小倉さんがみんなに愛されて、情熱、使命感を持って仕事をされていたことに段々、気づいてくる」と感じることが多いという。

 自身は昨年11月にインスタグラムで離婚を報告しているが悩み事を電話で相談したという。

 「私もちょっとつらいことがあって、小倉さんも心配してくれて、甘えちゃったなと思って。『前向きにやっていけるか自信がない』と言った時に『怜ちゃん大丈夫だよ、大丈夫だよ』って声をかけてくれて、元気づけてもらって。小倉さんの方が大変な時なのに本当に心配して支えてもらいました」と近い距離感で親身に思ってくれたことを感謝した。

【【芸能】菊川怜、号泣の別れ会を語る:小倉智昭さんへの想い】の続きを読む


皆藤 愛子(かいとう あいこ、1984年1月25日 - )は、セント・フォース所属のフリーアナウンサー、タレント。 栃木県真岡市生まれ、千葉県四街道市育ち。父は会社員、母は元銀行員の専業主婦。兄弟姉妹はおらず、一人っ子。幼少期からアナウンサーに憧れ、四街道市立四和小学校で放送委員会に所属した。中学…
42キロバイト (5,379 語) - 2025年1月27日 (月) 11:33

(出典 encount.press)


この記事を読んで、皆藤愛子さんが東京ドームでアイス最中を売っていた頃の話に驚きました。まさにあの場所は、今の超一流選手が小さな頃から夢を育んでいた場所だったのですね。ボールガールとしての彼女の成長ストーリーも素晴らしく、夢を追い続ける大切さを感じました。

1 冬月記者 ★ :2025/03/17(月) 17:34:15.61 ID:tWdHMuUs9
https://news.yahoo.co.jp/articles/8df37912887dec82de6b16538224e762a26948fa

皆藤愛子、小2の大谷がいた東京Dで「アイス最中売ってました」最終的にボールガールの大出世

 フリーアナウンサーの皆藤愛子が17日、TBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」で、ドジャースの大谷翔平が初めてプロ野球を観戦した02年3月30日の東京ドームでアイス最中を売っていたと明かし、スタジオを驚かせた。

 この日は先週末に行われたドジャース、カ*のプレシーズンゲームを特集。

 番組では大谷について、初めてプロ野球を観戦したのが東京ドームだったと紹介。

 それが02年3月30日の巨人-阪神戦で、当時、大谷は小学2年生。その時に皆藤アナもドームにいたという。

 「大学生で、アルバイトで東京ドームの形のアイス最中を通路で売ってました」というと、スタジオは「えー!」と驚きの声。

 「大谷さんの前を通ったんじゃない?」などと言われると、皆藤アナは「同じ空間にいたかもしれない…」と嬉しそう。「200個ぐらい抱えて。当時1個260円だった」と懐かしそうに振り返った。

 皆藤アナは、その後、アイス最中売りからビールの売り子となり「最終的にボールガールになった」と説明。

 大久保佳代子が「大出世!それは出世になるのかな」と言うと、皆藤アナは「出世ではないですけど…やってました」と恥ずかしそうに話していた。

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