寺尾は、墨田区で生まれ育ち、父・鶴ヶ嶺が住居兼相撲部屋を構えていたが、大相撲入り後は父の出身地である鹿児島県を自身の出身地として届け出ました。幼少期から大鵬を倒す力士になりたいと夢見ていた寺尾は、厳格な父の影響で敬語を使うなど、しつけを受けて育ちました。母の死後、相撲取りになる決意を固め、1979年に井筒部屋に入門し、初土俵を踏みました。

初土俵時の体重は85kgでしたが、100kgまで増やすために厳しい食事管理を行い、1984年には新十両に昇進。1985年には十両優勝を果たし、翌場所で新入幕を果たしました。入幕時には「名脇役になれればいい」と謙虚な姿勢を見せていましたが、次第に実力を発揮し、1987年には名を常史と改名しました。

寺尾は、兄弟の中で特に注目され、1989年には関脇に昇進。大乃国や千代の富士から金星を獲得し、数々の賞を受賞しました。1991年には貴花田との対戦が注目され、以降は「打倒!貴花田」を目標に掲げました。1995年には貴乃花から初の金星を獲得し、活躍を続けました。

しかし、1997年には怪我により連続出場記録が途切れ、その後は衰えが見え始めました。35歳から肉体改造を始め、1999年には再び幕内に復帰し、36歳で金星を獲得しましたが、2000年には十両に陥落。引退の声も上がる中、寺尾は続行を決意し、2002年9月場所で現役を引退しました。

現役時代、寺尾は甘いマスクと筋肉質な体型で女性ファンから人気を集め、敏捷な動きから「タイフーン」と呼ばれることもありました。晩年には父や兄が得意とした両差しの相撲を取るようになり、横綱を意識することはなかったものの、相撲界に多大な影響を与えた力士として記憶されています。