【画像】歴代の幕内外国人力士を番付順に紹介する[貴ノ岩(西前頭2枚目)]< 12 >

金成澤(貴ノ岩)は、鳥取城北高校の監督がモンゴルで行った選抜テストに合格し、16歳で日本に相撲留学しました。8歳で母を心臓病で亡くし、来日から3カ月後に父を肝臓癌で失うという不幸に見舞われましたが、彼は努力を重ね、2007年の国体少年個人でベスト4、2008年の世界ジュニア選手権で準優勝を果たしました。

貴乃花部屋への入門

2008年11月、憧れの貴乃花部屋に入門し、四股名「貴ノ岩」は美輪明宏との偶然の出会いから名付けられました。2009年1月場所に初土俵を踏み、同期には宝富士や皇風などがいました。初めて番付に名前が載った3月場所では序ノ口で5勝2敗と勝ち越し、5月場所では序二段で7戦全勝を挙げました。その後、三段目での活躍を経て、11月場所では7戦全勝で優勝し、貴乃花部屋にとって初の優勝を決めました。

幕下から十両へ

2010年1月場所で幕下昇進を果たしましたが、初土俵以来初の負け越しを経験。その後も負傷や休場を経て、2012年7月には十両昇進が決定し、貴乃花部屋として初の関取となりました。十両昇進後、2003年1月場所では10勝5敗の成績を残し、敢闘賞を受賞しました。

暴行事件と引退

2017年11月場所前、金成澤は怪我をし、11月場所では日馬富士による暴行事件が発覚しました。この事件は、相撲界に大きな波紋を呼びました。日馬富士は、金成澤に対して暴力を振るったとされ、これが相撲界の暴力問題を再び浮き彫りにしました。金成澤は、11月2日に福岡市内の病院に入院し、診断書には「脳しんとう、前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏の疑い」と記されていました。

この事件の影響で、金成澤は冬巡業を全休し、2018年1月場所も全休することになりました。通常であれば、成績に応じて番付が下がるところですが、相撲協会は特別措置を講じ、彼を西十両12枚目に据え置くことにしました。


復帰とその後

復帰場所となった2018年3月場所では、観客から大きな歓声を受けましたが、調子は本調子ではなく、黒星が先行しました。それでも最終盤に3連勝し、8勝7敗で勝ち越しを果たしました。春巡業では心的外傷ストレス障害と左足関節症の診断書を提出し、全休しました。

2018年5月場所では初日から5連勝と好調でしたが、6日目に逆転負けを喫し、その後連敗。最終的には11勝4敗の成績を残しました。7月場所では、初日に敗れたものの、そこから13連勝を達成し、優勝争いに名を連ねました。千秋楽では優勝決定戦に進出し、自身2度目の十両優勝を決めました。


千賀ノ浦部屋への移籍と引退

2018年10月、貴乃花の日本相撲協会退職に伴い、金成澤は千賀ノ浦部屋への移籍が承認されました。しかし、11月場所では6勝9敗と振るわず、成績が下降しました。2018年12月には、付け人に対する暴行事件が発覚し、相撲協会は彼を冬巡業を途中休場させました。

2019年2月2日、金成澤は引退を決意し、断髪式を行いました。引退の理由は暴行事件によるもので、師匠や協会からの引き留めにもかかわらず、彼は自らの意志で相撲人生を終えることを選びました。断髪式には多くの力士や関係者が参加し、彼の相撲人生を称えました。

引退後、金成澤はモンゴルに帰国し、牧場を持っているため生活には困らないと語りました。相撲界での経験を振り返り、感謝の気持ちを述べる一方で、新たな人生に向けての意欲を示しました。