【懐古】プロ野球選手[スティーブ]が懐かしすぎてマジ泣ける・・・


スティーブン・ロバート・オンティベロス(Steven Robert "Steve" Ontiveros , 1951年10月26日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手(内野手)。右投両打。日本プロ野球 (NPB) での登録名は「スティーブ」。…
13キロバイト (1,233 語) - 2024年11月26日 (火) 02:16
スティーブ・オンティベロスは、1969年のMLBドラフトでサンフランシスコ・ジャイアンツに指名され、1973年にメジャー初昇格を果たしました。1977年にシカゴ・カブスに移籍し、1980年には西武ライオンズに入団しました。西武との契約は3年で、当時の球界では破格の年俸6000万円が提示されました。スティーブは29歳で、現役のメジャーリーガーとして全盛期にあり、外国人選手としては異例の大物選手でした。

西武は前期に低迷しており、テーラー・ダンカンの不振が一因とされていました。そこで、取締役の中村芳夫がアメリカに渡り、スティーブの獲得を決定しました。彼は1980年7月に来日し、すぐに試合に出場。初戦では鈴木啓示に抑えられましたが、翌日の試合では初安打を記録し、その後の後期シーズンでは打率.314、16本塁打、50打点を記録しました。チームも後期に躍進し、初の首位に立つなど、スティーブの活躍が大きな要因となりました。

在籍中、スティーブは6年間で5度の打率3割を達成し、1982年の西武初優勝にも貢献しました。彼のトレードマークは口髭と禿げ頭で、カブス時代には鬘のCMにも出演していました。西武時代には3回の退場処分を受け、特に大宮龍男とのトラブルが目立ちました。彼は西武ライオンズの選手として初めて退場処分を受けた選手でもあります。

引退後は会社経営に携わり、野球界からは離れた生活を送っています。スティーブ・オンティベロスは、日本のプロ野球においてもその存在感を示し、記憶に残る選手となりました。