【懐古】あの名馬を振り返る(ハイセイコー)[1970-2000]


ハイセイコー(1970年 - 2000年)は、日本の競走馬。1970年代の日本で社会現象と呼ばれるほどの人気を集めた国民的アイドルホースで、第一次競馬ブームの立役者となった。1984年、顕彰馬に選出。 ※馬齢は旧表記に統一する。 1972年(昭和47年)7月、大井競馬場でデビュー。同年11月にかけて…
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### ハイセイコーの人気と社会現象

ハイセイコーの人気は、もう社会現象と言ってもいいくらいの規模に達してたんだよね。競馬に興味がない人たちにも名前が知れ渡って、まさに国民的アイドルホースになったんだ。彼は「週刊少年サンデー」や「週刊少年マガジン」、さらには女性週刊誌の表紙にも登場して、オグリキャップが出てくるまでは日本競馬史で比較対象がなかった存在だったんだよ。このハイセイコーが引き起こした競馬ブームは「第一次競馬ブーム」と呼ばれていて、後のオグリキャップと武豊の活躍が中心となった第二次競馬ブームと並ぶ、日本競馬史の2大ブームの一つとされてる。

朝日新聞のコラム『天声人語』では、ハイセイコーが「高度成長が終わる70年代」を象徴する競走馬として取り上げられてるし、競馬評論家の赤木駿介は、ハイセイコーブームを「物質享楽とインフレーションの谷間に落ちた大衆が、純粋なものを求めた」と評してる。競馬評論家の井崎脩五郎も、ハイセイコーを1970年代の代表馬と位置付けてるんだ。

### ブーム形成の要因・背景

ハイセイコーの中央競馬移籍は、最初から大きな話題になってた。日刊競馬解説者の吉川彰彦は、なんで1頭の競走馬がここまで注目を浴びたのか不思議だと振り返ってる。マスコミはハイセイコーを擬人化して、「名もない地方出身者が中央のエリートに挑戦する」というストーリーを作り上げたんだ。これが当時上京してた地方出身者たちの共感を呼んだんだよね。

ハイセイコーが大井競馬場でデビューした1972年7月、田中角栄が内閣総理大臣に就任したことも影響してるかも。田中の姿がハイセイコーに重なり、「地方出身者の出世物語」が共感を集めたんだ。日本経済新聞の野元賢一は、ハイセイコーの物語が人気になったのは「出自がどうあれ、努力すれば成功できる」という認識があったからだと指摘してる。

### 現象

ハイセイコーの人気が高まる中で、競馬場には女性や子供のファンが増えて、従来の「男ばかりのギャンブルの世界」が変わり始めたんだ。競馬評論家の原良馬は、ハイセイコーの活躍によって競馬がギャンブルからレジャーに転換したと評価してる。ハイセイコーは「競馬を単なるギャンブルから大衆の娯楽にまで広めるきっかけを作った立役者」として語り継がれてる。

ファン層は子供や女性、老人など、馬券を購入せずにハイセイコーだけに興味を持つ人々にまで広がった。ファンの中には、ハイセイコーを見ようと厩舎を訪れる人も多く、親に連れられて子供のファンが厩舎を訪れることもあったんだ。鈴木康弘は、ハイセイコーに対するファンの愛情に感動したと回顧してる。

ハイセイコーのもとには日本全国から多くのファンレターが届いて、「東京都 ハイセイコー様」とだけ書かれたはがきが競馬場に届くこともあった。ファンレターの中には、ハイセイコーの懸命に走る姿に心打たれたという内容のものもあり、引退後も年賀状やクリスマスカードが届き続けたんだ。

ハイセイコーは少年雑誌や女性週刊誌など、さまざまなメディアで取り上げられるようになった。競馬界の枠を超えた存在として、ハイセイコーは日本の文化においても重要な役割を果たしたんだ。

### タケホープとのライバル関係

ハイセイコーの競走生活において、タケホープとのライバル関係は特に注目を集めた。タケホープは東京優駿や菊花賞、天皇賞(春)を勝ち、ハイセイコーの終生のライバルと呼ばれた。両者の関係は「人気のハイセイコー、実力のタケホープ」と評され、タケホープはハイセイコーのファンから敵役として憎まれる存在となったんだ。

タケホープが東京優駿を勝った際、多くの人々はその勝利をフロックと受け止めたが、タケホープの管理調教師はその実力を認め、菊花賞での勝利を目指した。両者の対戦は、競馬界における重要なストーリーとなり、タケホープはハイセイコーのライバルとして認知されるようになった。

タケホープとの対戦を重ねるうちに、両者の特性が明らかになり、タケホープは長距離で、ハイセイコーは中距離で強さを発揮することが分かってきた。タケホープは長距離レースでの実力を示し、ハイセイコーは中距離での強さを維持した。

1974年の有馬記念では、ハイセイコーがタケホープに先着したことがファンに喜ばれ、両者の競り合いは競馬界の注目を集めた。タケホープとのライバル関係は、ハイセイコーの人気をさらに高める要因となり、競馬界における伝説的なストーリーを形成したんだ。

### まとめ

ハイセイコーは、その競走成績や人気から日本競馬史に名を刻む存在となり、ファンに愛され続ける馬として記憶されています。彼の登場は、競馬界における文化や社会的な変化をもたらし、競馬を単なるギャンブルから大衆の娯楽へと変貌させるきっかけとなりました。また、タケホープとのライバル関係は、競馬界における重要なストーリーとして語り継がれています。ハイセイコーの生涯は、競馬界における「怪物」の名にふさわしいものであり、その影響は今もなお色褪せることはありません。