鉄道


グリーン車のサムネイル
グリーン車(ぐりーんしゃ、Green Car)は、日本国有鉄道(国鉄)およびJRグループ各社の旅客列車や、JR以外の各鉄道会社などの車両のうち、普通車に比して乗客1人当たりの占有面積が広く、豪華な設備が施されているなどの理由で別途料金が発生する特別車両の名称である。…
49キロバイト (6,874 語) - 2025年4月2日 (水) 07:05

(出典 i.ytimg.com)


SNS上では、「グリーン車警察」と呼ばれる現象が広がっています。正規の利用者が自らの権利を守るために行動を起こす様子には賛否がありますが、公共の場での利用マナーやルールを守ることがいかに大切かを考えさせられます。鉄道を利用する全ての人が快適に過ごせるためには、一人ひとりの意識改革が求められています。

1 ぐれ ★ :2025/04/10(木) 15:33:25.62 ID:OC1eLeNJ9
※4/10(木) 11:51配信
Merkmal

「私的検札」現象
 2025年4月、SNSである種の異変が可視化された。X(旧ツイッター)のまとめメディア「トゥギャッター」には、「中央線グリーン車内で、赤ランプの席にいる客に「不正乗車してますね」と声をかける人が出没してる」というタイトルでさまざまな報告が集められた。

 それは、鉄道業務を委託されたわけでもなければ、制服も社員証も持たない民間人による“私的検札”の出現である。公共空間における秩序の維持が、本来の権限者ではなく善意の第三者によって行使され始めたとき、我々は何を考えねばならないのか。

 表層的には迷惑行為で片付けられかねないこの現象の背後には、交通サービスと制度設計、そして経済的正しさの間で軋む、見過ごせない構造的ひずみがある。

「声をかける人」が現れた理由
「中央線グリーン車内で、赤ランプの席にいる客に「不正乗車してますね」と声をかける人が出没してる」というまとめ(画像:トゥギャッター)

 JR中央線快速および青梅線におけるグリーン車営業が開始されたのは、ほんの1か月前、2025年3月15日のことである。

 Suica等を活用した乗車認証システムを導入することで、事前購入とタッチ操作によって座席利用の正当性を可視化する仕組みが整った。座席上部のランプが赤から緑に変わることで、課金の有無が一目でわかる。ところが、制度の導入と同時に赤ランプのまま座り続ける乗客の存在がネットで取り沙汰され始めた。その結果として登場したのが、いわゆる

「グリーン車警察」

なる存在だろう。

「不正を見過ごせない」
「払わずに座っている者がいるのは許せない」

動機が善意か、憂さ晴らしかは定かでない。しかし、公共交通における制度の運用不全を前提に、民間人が正義の代行者として行動し始めたという事実は重い。

 赤ランプは即、不正乗車を意味するのか。答えは否だ。紙のグリーン券を所持している場合、座席にタッチする手段はなく、ランプは赤のままである。また、Suica以外の交通系IC(ICOCA、SUGOCAなど)ではグリーン券が買えず、現金でアテンダントからの購入を前提とする人も多い。ほかにも、

・乗車区間が短いために後から購入する意図だった人
・モバイルSuicaに慣れておらず、単に操作を忘れた人

など、状況は複雑だ。これらすべての“グレー”に対して、「赤ランプ = 違反」という二元論で向かうことの危うさが浮き彫りとなる。制度の誤解と技術的な非対応、そして一部の運用上のゆらぎが、制度と現実のギャップを生み出しているのだ。

続きは↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/7352ddbf461147cc17df6990a63eaccdfafe94f2

【【社会】「不正が許せない」 ついに中央線グリーン車で“赤ランプ狩り”発生?】の続きを読む


【懐古】ブルートレイン『明星』が懐かしすぎてマジ泣ける・・・


寝台特急「明星」~関西と九州を結んだ夜行列車の記憶~1968年に誕生し、1986年に定期運行を終了した寝台特急「明星」。関西と九州を結ぶ夜行列車として、ブルートレインや583系電車など、様々なタイプの車両で運行され、多くの人々に愛されてきました。「明星」は、急行「ひのくに」の格上げにより誕生し、同時に「金星」も運行を開始しました。わずか1年の差で登場した581系電車は、「月光型」と呼ばれることもありましたが、「明星型」や「金星型」と呼ばれることもあったかもしれません。同じ時期に登場した「彗星」は、大分県の幸崎駅以南が非電化であったため、20系客車でのスタートとなりました。「明星」は、最盛期には7往復もの列車が運行され、客車と583系電車の両方が使用されていました。しかし、利用客の減少により、次第に運行本数が減少し、最終的には「あかつき」との併結運転が行われるようになりました。そして、1986年に定期運行を終了し、「なは」にその座を譲りました。「明星」は、ヘッドマークが設定されていなかった時期もあり、単独のヘッドマークは本州での運行で見ることができませんでした。1982年から1984年の間は、「客車=明星、電車=なは」という形で、同じ区間を走る2つの列車が存在していました。「明星」は、その歴史の中で様々な姿を見せてくれましたが、惜しまれながらその幕を閉じました。しかし、多くの鉄道ファンたちの記憶の中に、今もなお輝き続けていることでしょう。

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【懐古】ブルートレイン『銀河』が懐かしすぎてマジ泣ける・・・


「銀河」は、1949年9月に東京駅 - 神戸駅間で運行を開始した夜行急行列車で、当初は一等車と二等車のみで編成されていました。列車の最後尾には特急列車並みの行灯式テールマークが取り付けられていましたが、利用が伸び悩んだため、わずか9日後の9月24日には三等車を連結し、テールマークも外されました。

1976年頃には特急列車化が検討されましたが、東京駅 - 大阪駅間では所要時間があまり変わらないことから「単なる値上げ」と見なされる可能性があり、急行列車として存続されました。2000年代に入ると車両の老朽化や利用客の低迷が続き、2008年3月15日のダイヤ改正で廃止されました。JR西日本は、宿泊設備を持つ列車の競争力が低下したことが廃止の理由としています。

運行当初は1往復でしたが、1968年に寝台急行「明星」が統合されて2往復になりました。1998年からは臨時の「銀河」81号・82号のダイヤを利用して、285系電車「サンライズエクスプレス」による寝台特急「サンライズゆめ」が運転を開始しましたが、その後は「サンライズゆめ」に変更されました。

「銀河」は、長い歴史を持つ列車であり、特に東京・大阪間の夜行列車として多くの利用者に親しまれていましたが、時代の変化に伴いその役割を終えました。

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【懐古】ブルートレイン『北陸』が懐かしすぎてマジ泣ける・・・


特急「北陸」は、1922年に上野駅 - 金沢駅間に設定された普通列車が前身で、1947年に急行列車として復活し、1950年11月に「北陸」という名称が与えられました。1968年には定期夜行急行として復活し、1975年には寝台特急に格上げされました。

「北陸」は、東京と北陸地方を結ぶ重要な夜行列車として運行されていましたが、利用者の減少や車両の老朽化、航空機や夜行高速バスへの転移が影響し、2010年3月13日のダイヤ改正で廃止されました。廃止時には、寝台専用の特急列車の中では最短の517.4kmを走行していました。

列車名は北陸地方に由来し、運行中は快適な移動手段として評価されていました。特に、寝台の個室化が進んでおり、幅広い層の利用が見込まれていました。運転区間により列車番号が異なり、下り列車は3011列車、上り列車は3012列車などが設定されていました。

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【懐古】ブルートレイン『日本海』が懐かしすぎてマジ泣ける・・・


特急「日本海」は、大阪と青森を結ぶ急行列車として1947年7月に運転を開始し、1950年11月に「日本海」と名付けられました。その後、1968年に特急列車に昇格しました。この列車は、京阪神と東北地方を結ぶ重要な交通手段として利用されていました。

「日本海」の起源は、1924年7月31日に羽越本線が全通した際に運行を開始した急行列車に遡ります。利用客の減少や車両の老朽化により、2012年3月17日のダイヤ改正で定期運行が終了しました。定期運行最終日の寝台券は、下り(青森行き)が15秒、上り(大阪行き)が10秒で完売するほどの人気でした。

その後、「日本海」は臨時列車としてゴールデンウィークなどの多客期に運転されることが期待されましたが、2013年春以降は運行設定がされていません。JRからは存廃についての明確な発表はなく、2013年1月時点では検討中とされていましたが、その後も運行は行われていません。

最後に定期列車として運行されていた24系客車や583系電車が全車運行終了となったため、臨時列車の運行も困難な状況です。このため、一部の書籍では「日本海」の廃止が明記されています。

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