一発芸


【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人]を振り返る(日本エレキテル連合)


日本エレキテル連合が単独ライブ「シナプス乙女」開催、アフタートークも
…販売開始される。このたび、ライブに向けて日本エレキテル連合からのコメントが到着した。 ■ 日本エレキテル連合 コメント 「シナプス乙女」というタイトル…
(出典:お笑いナタリー)


日本エレキテル連合のサムネイル
日本エレキテル連合(にっぽんエレキテルれんごう)は、タイタン所属の女性お笑いコンビである。 橋本小雪(はしもと こゆき、1984年11月13日 - )(40歳) 立ち位置は向かって左。朱美ちゃん担当。以前はツッコミ担当だった。 血液型A型、身長161 cm、兵庫県豊岡市出身。…
44キロバイト (5,887 語) - 2025年2月9日 (日) 18:07
日本エレキテル連合、略してエレキテル連合は、橋本小雪さんと中野聡子さんの二人組で、彼女たちの独特なコントスタイルで日本中を笑わせてきた芸人です。彼女たちがブレイクしたのは、2014年のこと。特に「ダメよ〜、ダメダメ」というフレーズが流行語大賞を受賞したことで、一気に知名度が上がりました。このフレーズ、最初はファミレスで隣の席のおじさんとおばさんを見て思いついたというから、日常の中に笑いの種が潜んでいることを教えてくれますね。

さて、二人の出会いはというと、実は橋本さんが中野さんに土下座してコンビを組んでもらったという、なんともドラマチックなスタート。中野さんはネタ作りを担当し、橋本さんはそのサポート役。最初はツッコミ担当だった橋本さんも、いつの間にか二人ともボケキャラになってしまったというから、芸人の道は本当に不思議です。

彼女たちの活動は、最初は「日本パブリック連合」という名前で、松竹芸能に所属していましたが、借金がかさみ、活動を一時中断。2010年に東京に拠点を移し、「日本エレキテル連合」と改名して再出発しました。タイタンに所属したのも、尊敬する爆笑問題の影響が大きいとのこと。借金も2010年末には完済し、ようやく安定した生活が見えてきたのです。

ブレイク前は、電気・ガス・水道が止まるほど困窮していた彼女たちですが、そんな時期でもお互いを支え合いながら、コントのネタを練り続けていました。特に「ダメよ〜、ダメダメ」は、彼女たちの代表作となり、今や日本中の人々が口にするフレーズに。これが流行語大賞を受賞したときは、二人とも「まさか自分たちがこんなことになるなんて」と驚いたことでしょう。

エレキテル連合のコントは、メイクやコスプレ、小道具にこだわりがあり、彼女たちの個性が光ります。特に中野さんの男装キャラは、観客を笑わせるための重要な要素。彼女たちのネタには、未亡人朱美ちゃんシリーズや田所先生シリーズなど、バラエティ豊かなキャラクターが登場します。

また、二人は志村けんさんを心から尊敬していて、彼の出身地である東村山市に引っ越して一緒に住んでいたことも。志村さんに直接「ネタをパクらせてくれないか」と提案したエピソードもあり、彼女たちの志村さんへの愛情が伝わってきます。

最近では、中野さんが子宮頸がんと診断されるという辛い出来事もありましたが、彼女はその後、無事に退院し、元気に活動を再開しています。彼女たちの絆は、困難を乗り越える力を与えてくれるものです。

エレキテル連合は、ただの芸人ではなく、彼女たちのコントを通じて、観客に笑いと感動を届ける存在。これからも彼女たちの活躍に目が離せません!

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【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人]を振り返る(ゆってぃ)


ゆってぃ(1977年〈昭和52年〉1月25日 - )は、プロダクション人力舎に所属する日本のお笑い芸人(ピン芸人)。本名および旧芸名は藤堂 雄太(とうどう ゆうた)。「とーどーーた」という名義での活動も行っていた。東京都杉並区出身。身長174cm、血液型O型。妻はタレントで元グラビアアイドルの石川あんな。…
24キロバイト (3,042 語) - 2025年2月16日 (日) 21:14
ゆってぃさん(本名:藤堂雄太、1977年1月25日生まれ)は、プロダクション人力舎に所属するお笑い芸人です。1995年にスクールJCAへ4期生として入学し、当初はコンビ「マンブルゴッチ」のツッコミ担当として活動していました。しかし、相方の川村龍俊がラッパーを目指すため、2002年に解散しました。

その後、2003年にNSC東京校7期出身の寺崎仁人とコンビ「ロケット」を結成し、同年6月に秋山潤が加入してトリオ「グーニーズ」となりましたが、2006年に解散しました。しばらくして「とーどーゆーた」と名乗り、ピン芸人として活動を始めました。ピン活動初期は正統派漫談を行っていましたが、人力舎のスタッフからアイドル路線で行くように指示され、「スーパーアイドルゆってぃ」というキャラクターが誕生しました。

「スーパーアイドルゆってぃ」というキャラクターに扮した漫談が特徴です。「辛いことがあってもそれがなになにー」「キョーレツゥ! チッチャイことは気にするな! それ、ワカチコ! ワカチコ!」などの台詞を使い、自虐的な出来事をネタにしています。「なになにー」はマンブルゴッチ時代の元相方・川村発案のギャグ、「キョーレツゥ!」はロケットおよびグーニーズ時代の元相方・寺崎が考えたものです。衣装は全盛期の西城秀樹をイメージした派手なものから、少年隊っぽい現在の衣装に変わりました。

2008年8月27日放送の『爆笑レッドカーペット』で「ゆってぃ」として出演し、同年9月18日の『アンタッチャブルのシカゴマンゴ』で正式に芸名を「ゆってぃ」に変更しました。山崎弘也(アンタッチャブル)が名付け親で、ゆってぃさんはカタカナ表記の「ユッティー」だと思っていましたが、ひらがな表記となりました。

ゆってぃさんのコンビ時代を知るバカリズムは、彼のアイドルキャラに驚き、「最終手段」だと思ったと述べています。カンニング竹山によると、コンビ時代のゆってぃさんは「どちらかというと突っ張った芸風」で、今の芸風は自身が嫌っていたそうです。

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【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人]を振り返る(木村卓寛)


木村 卓寛(きむら たくひろ、1976年5月22日 - )は、日本のお笑いタレント。コンビ「天津」のツッコミ(たまにボケ)担当。吉本興業所属。兵庫県姫路市出身、岩手県盛岡市在住。 NSC大阪校21期出身。身長169 cm、体重58 kg。 姫路獨協大学法学部法律学科卒業。NSCの同期である天津飯大郎と1999年2月に「天津」を結成。…
16キロバイト (2,026 語) - 2025年1月3日 (金) 13:28
木村卓寛さんは1976年5月22日生まれ、兵庫県姫路市出身のお笑いタレントです。吉本興業に所属し、お笑いコンビ「天津」のツッコミ(たまにボケ)担当として活動しています。身長169cm、体重58kgで、姫路獨協大学法学部を卒業後、NSC大阪校21期生としてお笑い界に進みました。相方は天津飯大郎さんです。

2008年には詩吟と下ネタを融合させた「エロ詩吟」で人気を博し、その決め台詞「あると思います」は新語・流行語大賞にノミネートされました。しかし、このエロ詩吟が詩吟界から批判を受け、自らが所属していた流派を除名される結果となりました。後に別の団体に所属し、五段の資格を取得しています。

既婚者であり、2011年に長女、2013年に次女が誕生しています。また、木村さんの祖父と実父も詩吟の師範であり、彼自身も師範代の資格を持っています。

2016年には「おっさんレンタル」やロケバス運転手のアルバイトをしており、大型二種免許を取得しました。2020年12月から2021年2月まではヒロミさんの専属運転手を務めていました。

2019年には反社会的勢力主催の誕生会に参加していたことが発覚し、吉本興業から謹慎処分を受けましたが、2019年8月に解除されました。

2021年3月から岩手県に単身赴任し、夏には家族で移住しました。現在は岩手朝日テレビの新番組『Go!Go!いわて』のMCを務め、岩手県内の様々なCMやイベントに出演・参加しています。また、2021年12月には岩手県山田町観光ふるさと大使に任命されています。

2024年には家族が保護した子猫を飼っていることも発表しています。

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【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人]を振り返る(レイザーラモンHG)


レイザーラモンHGのサムネイル
レイザーラモンHGレイザーラモンエイチジー、1975年〈昭和50年〉12月18日 - )は、兵庫県出身の日本のお笑いタレント、元プロレスラー。お笑いコンビレイザーラモンのメンバー。NSC大阪校17期と同期扱い。 本名の「住谷 正樹」(すみたに まさき)名義での活動もある。左利き。…
42キロバイト (5,954 語) - 2025年1月31日 (金) 05:45
レイザーラモンHG、本名は住谷正樹さんは、1975年12月18日に兵庫県で生まれました。同志社大学商学部卒業後、1997年にお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成し、1997年から活動を開始しました。彼の相方はレイザーラモンRGです。

2005年、『爆笑問題のバク天!』にハードゲイキャラで出演し、全国区でブレイクしました。プロレス興行「ハッスル」にも出場し、プロレスラーとしても活動を開始しました。2006年には鈴木杏奈さんと結婚し、二人の子供がいます。

2009年にプロレス中に左足かかとを粉砕骨折し、約8か月の休養を余儀なくされました。2010年に復帰し、それ以降はコンビで漫才に取り組む方針をとりました。

2019年、反社会的勢力との闇営業に他の芸人と同席していたことが発覚し、謹慎処分を受けましたが、同年8月に解除され、舞台に復帰しました。

2021年には「ネオ☆健康ボーイズ」としても活動を開始しました。2023年7月には播磨町ふるさとPR大使に任命され、活動を通じて地元の魅力を伝えています。

レイザーラモンHGのキャラクターは、リッキー・マーティンの「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」をBGMに、サングラスと黒いエナメルの衣装で登場し、独特の腰振りと叫び声「フォー!」で知られています。彼のキャラクターは周囲の影響を受けて確立され、テレビや舞台で活躍しています。

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【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人編]を振り返る(長井秀和)


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長井 秀和(ながい ひでかず、1970年(昭和45年)1月3日 - )は、日本の政治家、お笑いタレント、漫談家(ピン芸人) 、実業家(飲食店経営)。2022年(令和4年)12月から西東京市議会議員(無所属、1期目)を務めている。東京都西東京市在住。 東京都北多摩郡村山町(現在の武蔵村山市)で生まれ…
38キロバイト (5,307 語) - 2025年2月19日 (水) 17:11
長井秀和さんは1970年1月3日、東京都武蔵村山市で生まれ、創価大学文学部を卒業しました。彼の父親は創価学会の幹部であり、武蔵村山市議会議員を務めていた長井孝雄です。長井秀和さんも創価学会員でしたが、2012年に脱会しました。

彼は1992年にお笑い芸人としてデビューし、パントマイムやショートコントなどを持ちネタにしていました。NHKの「爆笑オンエアバトル」で高得点を獲得し、一躍有名になりました。2003年には「エンタの神様」に出演し、「間違いないっ!」の決め台詞で人気を博しました。

彼の私生活では、1999年に内縁の妻と結婚し、2005年に息子が誕生しましたが、2007年にフィリピンで未成年者へのわいせつ疑惑が報じられ、さらにカナダ人女性タレントとの不倫疑惑も報道されました。これらのスキャンダルの影響で、彼はアメリカに渡り、英語の語学留学を経てニューヨークでお笑いライブを開催するようになりました。

その後、2008年に妻と離婚し、2017年にドイツ人女性と再婚しましたが、2020年に再び離婚しました。2019年には新宿で焼肉店を開店するなど実業家としても活動しています。

彼は2021年に政治団体「すこやかな共生社会をつくる会」を設立し、2022年12月の西東京市議会議員選挙で無所属候補として立候補し、トップ当選を果たしました。彼は無所属ながらもれいわ新選組、立憲民主党、社民党、日本共産党などの会派に近い議員として活動しています。

また、創価学会との関係についても言及し、2022年12月には名誉毀損の訴訟を東京地裁に提起されました。2025年2月には22万円の支払い命令が下されましたが、判決に対して控訴を検討しています。

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