一発芸


【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人編]を振り返る(どぶろっく)


どぶろっくのドタバタ人生

さてさて、今日はお笑いコンビ「どぶろっく」の面白おかしい人生を振り返ってみよう!彼らの名前を聞くと、あの独特の歌ネタと「むっつりスケベの森です!」という自己紹介が思い浮かぶ人も多いはず。さあ、彼らのブレイクの軌跡を追ってみよう!

学生時代からの友情

どぶろっくは、森慎太郎さんと江口直人さんの二人組。実は、二人は幼稚園からの幼馴染で、小学校、中学校、高校、大学とずっと一緒だったんだって。高校時代はサッカー部に所属していたらしいけど、サッカーよりもお笑いの方が好きだったのかもね。大学卒業後、役者志望で上京した森を江口が誘って、2004年にコンビを結成したんだ。

最初はなかなか注目されなかったけど、2006年に一度解散。その後、2007年に再結成してからが本番!彼らのネタは、身近な女性をテーマにした生々しくて下品だけど、共感を呼ぶ歌ネタが多くて、観客を笑わせることに成功したんだ。

ブレイクの瞬間

そして、2008年から『あらびき団』に出演するようになり、ついにどぶろっくの時代がやってくる!彼らのネタは、細かな観察眼を活かした生々しい内容で、MCの東野幸治からも「我が家の下ネ見える」と言われるほど。最初のネタ見せでは反応が芳しくなかったけど、歌ネタを披露したら一気に注目を浴びることに。

その後、2009年には『エンタの神様』でトリを務めることが多くなり、名実ともに人気者に。特に、彼らの「もしかしてだけど」というネタは、みんなの心に残る名作となった。さらに、同年にはアルバム『どぶロケンロール』でCDデビューも果たし、音楽活動にも力を入れるようになったんだ。

さらなる活躍

2013年には『歌ネタ王決定戦』で決勝進出し、第4位に輝くなど、ますます勢いを増していった。特に、NTT西日本のCMに出演したことで、営業の仕事が急増し、年間162本の営業をこなす「営業No.1芸人」となったんだ。これには、森も江口も「まさかこんなに忙しくなるとは!」と驚いたに違いない。

2014年には江口がカミツキガメを飼っていて、法律違反で書類送検されるという事件もあった。カメがベランダから転落して通行人に見つかるというドタバタ劇。これには「カメもびっくりだよ!」と笑い話になったけど、江口は「もう二度と飼わない!」と反省したらしい。

現在の活躍

最近では、どぶろっくは音楽活動も活発に行っていて、バンド『どぶろっかーず』を結成したり、さまざまなイベントに出演したりしている。2019年には『キングオブコント』にエントリーし、見事決勝進出を果たす。彼らのネタは、観客を笑わせるだけでなく、心に響くものがあるから、これからも目が離せない!

また、2021年には「子育てパパ・ママが選ぶ好きな歌ネタ芸人」で第1位を獲得するなど、親たちからも支持されている。彼らのネタは、子育てのあるあるネタが多いから、共感を呼ぶんだろうね。

まとめ

というわけで、どぶろっくのドタバタ人生を振り返ってみたけど、どうだったかな?彼らのブレイクのきっかけから、変わらぬスタイル、さらなる活躍まで、笑いの神様に愛されていることがよくわかるよね。これからも、どぶろっくの「むっつりスケベ」を聞くたびに、笑顔になれる人が増えること間違いなし!次回のどぶろっくの登場を楽しみに待とう!

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【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人編]を振り返る(レギュラー)


初登場からの道のり

レギュラーは1998年に大阪NSCに入学してコンビを結成。西川晃啓(ツッコミ担当)と松本康太(ボケ担当)の二人組だ。最初はなかなか注目されなかったけど、1999年から2003年にかけてTBSの『ガチンコ!』に出演し、少しずつ知名度を上げていったんだ。

そして、2004年には『めちゃ2イケてるッ!』の「笑わず嫌い王決定戦」に出演。ここで代表的なネタ「あるある探検隊」が大ブレイク!東京では全くの無名だった彼らが、一気に人気者になった瞬間だったんだ。

ブレイクの瞬間

2010年には初の著書『ゴー☆ジャスの地球の学び方』を出版し、さらに2011年にはデンナーシステムズを退社してサンミュージックプロダクションに移籍。これがまた、彼らのキャリアに大きな影響を与えたんだ。

特に「あるある探検隊」は、観客の共感を得るためのネタで、語呂の良いリズムに乗せて短い「あるあるネタ」を披露するスタイルが大人気。西川が「フグゥー」と気絶するポーズから始まるこのネタは、観客を笑わせるための絶妙なクッションになっている。松本の「あるあるさんとこの、探検隊を呼ばなあかん」というセリフもお馴染みだよね。

変わらぬスタイル

レギュラーの魅力は、なんといってもそのキャラクター。西川は気絶するのが定番で、松本はボケ担当として独特のセンスを発揮。特に、松本の「基本的に歯が黄色いレギュラーです」という自己紹介は、観客をクスッと笑わせる要素になっているんだ。

また、彼らのネタは「あるあるネタ」だけでなく、全然あるあるじゃない「ないないネタ」もあって、これがまた面白い。西川が「これあるな」と言ったら「ないすやり取りは、観客にとっても楽しみの一つだよね。

さらなる活躍

2015年には初の単行本「あるある探険隊」を出版し、2016年には第35回NHK上方漫才コンテストで優勝。これで一気に知名度が上がったんだ。さらに、2006年には単行本「あるある探険隊2」を出版し、特典として西川の脇の臭いつきトレーディングカードを封入するという斬新なアイデアも話題に。

2010年には宮古島に移住し、民宿を運営するという新たな挑戦も。これがまた、彼らの人生に新しい風を吹き込んだん客を笑わせるために、地元のネタを取り入れたりして、島の人気者になったりもしたんだよね。

まとめ

というわけで、レギュラーのドタバタ人生を振り返ってみたけど、どうだったかな?彼らのブレイクのきっかけから、変わらぬスタイル、さらなる活躍まで、笑いの神様に愛されていることがよくわかるよね。これからも、レギュラーの「あるある探検隊!」を聞くたびに、笑顔になれる人が増えること間違いなし!次回のレギュラーの登場を楽しみに待とう!

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【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人編]を振り返る(コウメ太夫)


コウメ太夫のドタバタ人生

さてさて、今日はお笑い界の個性派、コウメ太夫の面白おかしい人生を振り返ってみよう!彼の名前を聞くと、あの独特のスタイルと「チクショー!」という声が思い浮かぶ人も多いはず。さあ、彼のブレイクの軌跡を追ってみよう!

幼少期からのスタート

コウメ太夫は1972年に東京都で生まれたんだけど、なんと父親は芸能プロデューサー、母親は元女優という、まさに芸能一家に育ったんだ。家庭教師が4人もいたなんて、まるでドラマのような家庭環境だよね!でも、彼は学生時代は成績が悪くて、「バカだバカだ」と言われ続けていたとか。先生の話も理解できなかったらしいから、そりゃあ苦労しただろうな。

梅沢劇団からお笑いへ

1995年に梅沢富美男劇団に入団し、舞台に立つことになったコウメ太夫。最初は「梅沢光史」という名前で女形もやってたんだって。女形のコウメ、想像しただけで面白い!でも、1997年にお笑いに転身することに。彼曰く、「お笑いが一番競争率が低い」と思い込んでいたらしいけど、実際はそんな甘い世界じゃなかったみたい。

ブレイクの瞬間

そして、2005年に『エンタの神様』に出演したことで、ついにコウメ太夫の時代がやってくる!白塗りの顔に着物、そして「チクショー!」というフレーズが一世を風靡。彼の独特のキャラクターは、視聴者の心をつかんで離さない。あの時の「コウメ太夫、面白い!」という声は、今でも耳に残っている人が多いはず。

2006年にはCD『小梅日記』をリリースし、オリコンチャートで初登場36位を記録。さらに、着うたが30万件ダウンロードされて、ゴールド配信大賞を受賞するなど、まさに絶好調!「これがコウメ太夫の力だ!」とみんなが認めるようになったんだ。

変化と挑戦

しかし、2009年に占い師に「小梅をコウメに変えないとトラックに轢かれるわよ!」と言われ、芸名をコウメ太夫に改名。これがまた、彼の新たなスタートになったんだ。離婚も経験し、息子との生活が始まる中で、彼は「父親として頑張らなきゃ!」と奮闘することに。

その後、テレビの露出は減少し、「一発屋」とみなされることもあったけど、2012年に『テベ・コンヒーロ』でシュールなネタを披露し、再び注目を浴びる。コウメ太夫のネタは、ただの笑いを超えて、観客に考えさせるような深みがあったんだ。


現在の活躍

最近では、コウメ太夫はドラマや映画にも出演し、俳優としての評価も高まっている。特に、2021年には『クイズ☆正解は一年後』の企画で三浦マイルドと即席コンビ『コウメマイルド』を結成し、M-1グランプリに挑戦。白塗りのコウメと素顔の三浦のコンビネーションは、観客を笑わせること間違いなし!

また、コウメ太夫は「意外にも頑張り屋で、粘り強い」と自分を評しているけど、まさにその通り。彼の人生は、笑いあり、涙ありのドタバタ劇。息子との生活を支えに、これからも新たな挑戦を続けていくんだろうな。


まとめ

というわけで、コウメ太夫のドタバタ人生を振り返ってみたけど、どうだったかな?彼のブレイクのきっかけから、変わらぬスタイル、さらなる活躍まで、笑いの神様に愛されていることがよくわかるよね。これからも、コウメ太夫の「チクショー!」を聞くたびに、笑顔になれる人が増えること間違いなし!次回のコウメ太夫の登場を楽しみに待とう!

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【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人編]を振り返る(クール・ポコ)


1. クール・ポコって誰?

さて、今日はお笑いコンビ「クール・ポコ」について語っちゃうよ!このコンビは、小野まじめさんとせんちゃんの二人から成り立っていて、彼らの独特なスタイルが多くの人に愛されているんだ杵と臼を使ったネタが特徴で、男らしさを訴えるもちつきネタが大ウケしたんだよね。彼らの「やっちまったな!」というフレーズは、今や多くの人に浸透しているんじゃないかな。

2. ブレイクのきっかけ

クール・ポコが一気に注目を浴びたのは、2000年代後半のこと。『爆笑レッドカーペット』などのネタ番組で、彼らのもちつきネタが大ヒットしたんだ。特に、杵を使って「男らしさとは何か」を訴えるスタイルが受けて、瞬く間に人気者に。彼らのネタは、ただのコントじゃなくて、男の生き様を描いているようで、観る人に笑いと共感を与えていたんだ。

3. 彼らの独特な芸風

クール・ポコの芸風は、杵と臼を使った「餅搗きスタイル」。これがまた、シンプルだけど奥が深いんだよね。ネタの導入部分で小野さんが「おーし!今日も一丁、搗いていくか!」と始まり、せんちゃんが「へい!師匠、お願いします!」と返す。このやり取りだけで、もう笑いが起きる。そこから、男らしさをテーマにしたネタが展開されるんだけど、毎回のように「やっちまったな!」とツッコミが入るのがクセになるんだ。

4. ちょっとしたエピソード

クール・ポコの面白いエピソードもたくさんあるんだ。2007年には「男は黙って・みちのく旅」という自主的な東北行脚を決行。各県の主要駅で路上ライブをしながら「男とは何か」を探し続けたんだって。最後の青森では雪に降られながらのライブだったらしいけど、観客は子供2人だけだったとか。しかも、ほとんどウケなかったというオチがついてるのが、なんとも彼ららしいよね。

また、彼らの初代の杵は2500円、臼は1000円でヤフオクで購入したんだって。送料が5000円もかかったのに、入札者は小野さんだけだったというエピソードも笑える。今の強化プラスチック製の杵は8kgだけど、初代は30kgもあったらしい。そんな重いものを使ってネタをやっていたなんて、体力勝負だったんだろうな。


5. まとめ

というわけで、クール・ポコの魅力をたっぷり語ってみたけど、どうだったかな?彼らのネタは、ただの笑いを提供するだけじゃなくて、男らしさや友情の大切さを感じさせてくれる。今でもCMやバラエティ番組に出演している彼らを見かけることが多いけど、やっぱり彼らの芸風は色あせない。

もしまだクール・ポコのネタを観たことがないなら、ぜひ一度観てみてほしい!YouTubeやストリーミングサービスで彼らのネタを探してみてね。笑いと共に、彼らの独特な世界観に触れてみると、きっとクスッと笑える瞬間が待っているはずだよ。さあ、今すぐ観て、クール・ポコの魅力にハマっちゃおう!

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【懐古】記憶の片隅に残っている[一発芸・一発芸人編]を振り返る(髭男爵)




さあ、今日はお笑い界の異彩を放つコンビ、髭男爵についてお話ししよう!彼らの魅力といえば、なんといってもその独特なキャラクターと、ちょっと不思議な世界観。特にブレイクした頃からの彼らの活躍は、まさに笑いの宝庫だよ!

髭男爵は、2004年に結成されたコンビで「ひげ」こと山田ルイ53世さんと、「男爵」ことひぐち君。彼らのスタイルは、いわゆる「ネタ」としての漫才だけじゃなく、独特のキャラクターを活かしたコントやトークも魅力的。特に、山田ルイ53世さんの髭と、男爵の衣装が印象的で、見た目からして「こいつら、ただ者じゃない!」って感じがするよね。

さて、彼らがブレイクしたのは、2006年のこと。テレビのバラエティ番組に出演し始めてから、徐々にその存在感を増していったんだ。特に、彼らの「男爵様」キャラがウケて、視聴者の心をつかんじゃった。あの独特の口調と、ちょっとおかしな言い回しがクセになるんだよね。「お前、男爵様に何を言ってるんだ!」ってツッコミたくなるような、そんな不思議な魅力があった。

その後、彼らは「M-1グランプリ」や「キングオブコント」などのコンテストにも出場。特に「M-1グランプリ」では、2008年に準決勝まで進出し、ますます注目を集めることに。彼らのネタは、ちょっとシュールで、観客を笑わせるだけじゃなくて、時には「え、これどういうこと?」って考えさせられるような深さもあったりするから、見ている側も飽きないんだよね。

そして、2009年には「髭男爵のオールナイトニッポン」もスタート!これがまた、彼らの魅力を引き出す場となった。リスナーからのメールを読みながら、自由にトークを展開するスタイルが大ウケ。特に、山田ルイ53世さんの独特な視点からのコメントが、リスナーをクスッとさせるんだ。彼の言葉には、時折哲学的な深さがあって、「これ、どういう意味?」って考えさせられることも多い。

その後も、テレビやラジオ、舞台などで活躍し続け、髭男爵はお笑い界の一角を築いていった。特に、彼らのネタの中で「男爵様」としてのキャラクターが強調されることで、観客との距離感が縮まるのがいいんだよね。観客が「男爵様、もっとやって!」って言いたくなるような、そんな雰囲気が漂っている。

最近では、YouTubeやSNSを活用して、若い世代にもアプローチをかけている髭男爵。特なキャラクターは、時代を超えて愛され続けている。新しいネタや企画を次々と発信していて、見ているこちらもワクワクしちゃう。

髭男爵の魅力は、ただの笑いだけじゃなくて、彼らの独特な世界観やキャラクターにある。これからも、彼らの活躍を楽しみにしているファンは多いはず。髭男爵、これからもその調子で、笑いを届けてくれよ!
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