【衝撃】往年の名力士[富士桜]がマジ泣ける・・・
富士櫻は、昭和天皇も好んだ力士で、特に麒麟児との対戦が人気を博しました。1975年の天覧相撲では、両者の激しい突っ張り合いが話題となり、富士櫻は敗れたものの思い出深い一番として記憶されています。彼は稽古熱心で、関脇に昇進し、同部屋の高見山との稽古は名物となりました。富士櫻は、突き押し力士として評価され、特に立合いが美しいと称賛されました。若乃花との対戦では善戦し、1974年には3横綱を倒すなどの実績を残しました。1963年から1984年まで本場所を休まず出場し、1543回連続出場の記録を持っていますが、1984年にアキレス腱を断裂し初の休場を余儀なくされました。1985年に37歳で後は年寄・中村を襲名しました。