【相撲】歴代の幕内外国人力士を番付順に紹介する[若ノ鵬(西前頭筆頭)]< 18 >
若ノ冒険は北オセチア共和国出身で、露鵬の兄弟であり、父親からレスリングを学び、ジュニア王者となった。2004年に来日し、大嶽部屋に入門。2005年3月場所で初土俵を踏み、同期には髙安や大道がいる。2005年9月場所では序二段優勝を果たし、2006年1月場所では幕下で6勝1敗の成績を収め、優勝決定戦に進出するも把瑠都に敗れる。その後も順調に勝ち越しを続け、11月場所で十両昇進を果たす。
十両昇進は18歳5カ月で、外国出身力士としては最年少記録だったが、本人は「17歳で上がりたかった」と悔しがった。関取として初めて土俵に上がった2007年1月場所では苦戦し、5勝10敗の成績で初の負け越しを経験。翌3月場所では再十両を果たし、2007年9月場所で十両筆頭として10勝5敗を記録し、11月場所で新入幕を果たす。
新入幕後の会見では、師匠の間垣が脳出血の後遺症で不自由な体を押して出席し、若ノ鵬は「親方を喜ばせたい」と語った。相撲の型が未熟で、立合いの変化が多く、メディアでネタにされることもあったが、2008年1月場所では岩木山に変化を読まれ敗れたことを機に「もうやらない」と決意。
2008年5月場所では、鶴竜戦で勝利し、8勝7敗で勝ち越し。7月場所では入幕後初の負け越しを経験するが、8月に大麻所持で検挙され、相撲協会から解雇される。解雇後、若ノ鵬は処分撤回を求める訴訟を起こすが、仮処分申請は却下され、1月29日に退職金が支払われた。2009年2月1日に断髪式を行ったが、角界関係者は誰も参加せず、その後ロシアに帰国した。若ノ鵬の相撲人生は、才能を持ちながらもトラブルに見舞われた波乱の道のりだった。
十両昇進は18歳5カ月で、外国出身力士としては最年少記録だったが、本人は「17歳で上がりたかった」と悔しがった。関取として初めて土俵に上がった2007年1月場所では苦戦し、5勝10敗の成績で初の負け越しを経験。翌3月場所では再十両を果たし、2007年9月場所で十両筆頭として10勝5敗を記録し、11月場所で新入幕を果たす。
新入幕後の会見では、師匠の間垣が脳出血の後遺症で不自由な体を押して出席し、若ノ鵬は「親方を喜ばせたい」と語った。相撲の型が未熟で、立合いの変化が多く、メディアでネタにされることもあったが、2008年1月場所では岩木山に変化を読まれ敗れたことを機に「もうやらない」と決意。
2008年5月場所では、鶴竜戦で勝利し、8勝7敗で勝ち越し。7月場所では入幕後初の負け越しを経験するが、8月に大麻所持で検挙され、相撲協会から解雇される。解雇後、若ノ鵬は処分撤回を求める訴訟を起こすが、仮処分申請は却下され、1月29日に退職金が支払われた。2009年2月1日に断髪式を行ったが、角界関係者は誰も参加せず、その後ロシアに帰国した。若ノ鵬の相撲人生は、才能を持ちながらもトラブルに見舞われた波乱の道のりだった。
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