【懐古】往年の名力士[黒姫山]が懐かしすぎてマジ泣ける・・・
入門当初、立浪部屋には約60人の力士が所属し、序ノ口や序二段の力士は午前3時に起床し、掃除や体を動かした後、4時に土俵に上がっていました。黒姫山は早起きに苦労せず、立浪が稽古場に来ると緊張感が漂いました。立浪は稽古の指導をほとんど行わず、足りない力士には厳しく指示を出しました。黒姫山は羽黒川や武隈から指導を受け、質問をすることもできました。
付き人としては時津山や安念山、若羽黒に仕え、特に立浪との親密な関係がありました。1970年代には順調に出世し、1969年に新十両、同年7月には新入幕を果たしましたが、初場所では大敗し、十両に陥落。しかし、すぐに幕内に復帰し、1970年には西小結に昇進しました。強烈なぶちかましで横綱を破るなど活躍し、「デゴイチ」との異名を持ちました。
1973年には立浪部屋の親方の長女と結婚し、娘婿となりました。大関候補として期待されましたが、出足が止まると苦戦し、三役での二桁勝利は一度もありませんでした。1981年に十両に陥落し、1982年には幕下への陥落が濃厚となり、引退を表明。引退後は年寄・錦島を襲名しました。